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宇宙へ解き放たれる民族文化
荻原眞子(民族学)

これは満洲族のシャマニズムを主題とする民族文化の貴重な映像である。満洲族(満族とも)は今日中国全体で人口1000万人ほどであるが、その前身である女真族は金国(12-13世紀)、後金国・清朝(1616−1912)を建立した民族である。その後裔である満洲族の言語、満洲語は北方のシベリアに広く分布するトゥングース語グループの一つで、南方語派として分類されている。ここには、新疆省のシベ語も含まれている。映像の中ほどではそのシベ族の活力溢れる民族芸能が映しだされる。

 「サマン」とは、シャマンshamanのことで、この作品のテーマである。インタビューで熱を込めて語るサマンたちは若手や壮年の元気な男性たち、先代からの後継者である。彼らは大きな片面太鼓を力強く打ちながら腰を振る。腰につけたベルトには細長い円錐形のガラガラがびっしり吊してあってすさまじい音を立て、同じ調子で果てしなく続く太鼓の強打音のなかで、サマンたちの表情には恍惚境がみえてくる。

 一方、先輩老齢のサマンたちは誰もが、若手の人たちと同様、サマンが満洲族の民族文化のなかで果たしてきた役割を語り、サマンとその儀礼を継承していく意義を力説する。「サマン」という語はすなわち、シャマンの儀礼とも「サマン文化」とも、満洲族の文化とも同義である。つまり、「サマン文化」には満洲族の民族文化の精神性が込められ、その真髄であるという。映像のなかでサマンが歌う「神歌」は満洲語として紹介されているが、歌われている数多くの歌はいろいろあって、中国の民謡のように聞こえることもある。

 「サマン文化」が語られる場面で、人々が熱を込めて話すのは満洲語に対する一途な想いである。裏を返せば、それが失われることの危機感、、、 満洲語は日常生活ではもう使われてはいないのが実情である。インタビューに登場するサマンや満洲文化の研究者たちは、満洲語を喪失することは、すなわち、民族文化の精神性が継承されなくなることであり、民族としての存立が危うくなるのだと一様に力説する。満洲学の研究者は、満洲語の文献資料25万部が翻訳や研究の見通しなく眠っていると悲観的である。満洲文字は映像の扉にあるようにモンゴル文字を基に17世紀に創られた。

 言語の危機は20世紀後半になって、世界各地の少数民族、先住民のもとで議論され、さまざまなとり組みの課題になった問題である。グローバリズムのなかで、少数者の言語・文化は多数者社会に呑み込まれていく。そのプロセスは徐々に進行するだけでなく、国家の政治経済や政策のもとで急速に進む。このことはユネスコで「消滅の危機言語」(2010年)と呼ばれ、その研究は世界の言語学者にとっての緊急の課題であった。民族固有の言語が年長者たちの人口減少によって、いつの間にか日常生活から影を潜めていく現象に危機感を抱いたところでは、人々がその復活、維持継承に意を注ぐ。映像のなかでは若手のサマンたちも、老齢のサマンや満洲文化の研究者たちも、一様に言語維持がどれほど満洲族の文化にとって緊要であるかを力説する。言語と文化は不可分である。満洲語は満洲文化の母胎でもある。その満洲語・満洲文化の表現形態が「サマン文化」であるというのが人々の共通認識である。

 プロデューサー金大偉氏はサマンを訪ねて中国東北の各地を訪れ、やがて満洲語と近縁なシベ語の民族、シベ(錫伯)族のいる新疆省ウイグル地区へ飛ぶ。シベ族は清朝時代に本拠地であった中国東北部から遙か西方、現在の地に防衛のために強制移住させられた民族である。今日の人口は19万人とある。舞台の上で大人数の男女が太鼓を打ち鳴らして歌い乱舞する集団芸能は,リズムや衣装なども含めて満洲族とは大変異なっている。サマン自身のパフォーマンスは確かに満洲族のそれに近いようではあるが、映像にみるシベ族の歌や芸能などにはその地のカザフなどテュルク語系の民族文化との融合が明らかである。しかしながら、そこでも人々はシベ語、シベのサマン文化を誇らしげに語り、それを継承することに強い意志表示をし、満洲族との連帯を口にしている。

 

 映像のなかの「サマン」や「サマン文化」は、例えば、地理的に近接するロシア極東地域やシベリアの諸民族で知られているシャマンやその儀礼とは著しく異なって、独特である。清朝の崩壊後、満洲族が生きてきた中国社会での幾世代もの時間を考えるなら、本来もっていたかもしれないシャマニズムが変容してしまったことは歴史的な必然ということになろう。

 受け継いだ「ことば」と「祭礼」を絶やさないために、満洲語学校があり、村にいる15人の話者たちが互いに満洲語で語らい、歌う。お年寄りたちは「教えてあげる」と熱心である。四季村の90才のおばあさんが歌う「子守歌」は、私の乏しい経験でも、アムール川地域で耳にしたトゥングース語を思いださせた。力と張りのある良い声であった。強石氏の家族祭ではサマンの男性が日本の正月の繭玉のような造りものについて、柳の枝は女性を表し、枝に結んだ色紙は豊穣や幸運のお守りであるというと、集まった子供も大人も争ってそれを奪った。「サマン文化」には、満洲族の民族文化の瀬在的なエネルギーが秘められているかと思う。

 シャマニズムの起源は明らかでないが、ユーラシア北方についていえば、それは長らく狩猟民文化のなかで継承されてきた。人間の生活の糧は自然界の動植物であったから、人々の思考や観念は自然界とのかかわりのなかで培われたことになる。アイヌでは世界は人間=アイヌと自然=カムイによって成りたっていると見る。それは狩猟民文化一般の本質的な特徴でもあり、満洲族の「サマン文化」にも通じる。天界に神々、諸霊が充ち満ちているということはともかくとして、満洲族の人々が、「サマン」と「サマン文化」を通じて、自然界、天界にエーテルを感得するのは、中国社会での歴史的な経験を突きぬけた先に見出した宇宙との接点なのであろう。

 「サマン文化」が現代社会、世界にもつ意義はそこにあるのだと、「天空のサマン」は訴えているのである。

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