各界からのコメント
山田洋次(映画監督)
ぼくは満州育ちでありながら、満州族の文化について考えたこともなかったことを今、恥ずかしく思います。人類の原点に迫ろうとする金大偉監督の偉業に敬意を表しながら拝見しました。
宮脇淳子(東洋文庫研究員・モンゴル学者)
前作『ロスト・マンチュリア・サマン』に引き続き、満洲族の血を引く世界的なアーティスト金大偉さんが、僅かに残るサマン教の儀式を求めて、中国東北や新疆や内モンゴルを何年にもわたって取材、その神歌と踊りの貴重な映像を自らのナレーションで芸術の域へと高めていく。
満洲語のサマンこそが英語のシャマニズムの原語であるのに、サマン文化が生み出されたその地で、天と人を仲介する霊性を重んじる伝統が滅びようとしている。
鎌田東二(京都大学名誉教授)
金大偉が喪われゆく満洲の「サマン文化」を記録し呼び覚ましながら訴えているのは、単なる地域文化などの再発見などではない。むしろ、地球に抱え込まれ内蔵された「神聖エネルギー」の再喚起なくして、もはや私たちの再生はありえないという危機の表明である。地球という水の惑星をまなざすその「天空のサマン」の旅の軌跡に込められた痛みと悲しみと希望と祈りを私は本作の随所に聴いた。
大倉正之助(能楽師 大鼓奏者/文化庁日本遺産大使/重要無形文化財総合指定保持者)
世界中の先住民や亜細亜に通底する精神世界は自然界との共生であり人間はその恩恵により生かされている事が基本である。 この映画に映し出される営みが絶え間無くこれまでの何千何万年の時をこれから先も刻み続ける事が出来るように祈りを捧げます。 そこには理屈を超え目で見える世界はほんの一部であることを知らせてくれています。 この映画は普遍的価値に基づく営みを忘れない警鐘となります。
能澤壽彦(古層文化論)
我々は、今や文明の分岐点に立って呻吟している。こうした時期に、この映画は、密かにだが、我々の文明選択に関する重要な何かを示しているかに見える。
地上で追われ、また地上を見限り、サマンたちは天空に退いたのか?
しかし、そこに彼らは住まうはずである。
天空深く架かる梯子ありき。
一刻の幻視ではあれ、我々も、それを見究めようではないか。
小林宏治(映画監督)
この作品を見てつくづく思った。失われつつある時にその文化の大切さに気づくものだと。 広大な美しい景色と季節を経て刻まれた人々の顔の皺。 初めて見て聞く、儀式と言語のリズム。 映像の持つ力はそれらを確かな眼力で描いていく。 あらたに知る文化への興味はいつしか自身の中の精神性を問いかける旅になる。 同時に思うのだ。失われても良い文化など一つもない。 貴重な映像の数々は人間のあり方をも語りかけてくるようだ。 カメラの視点はいつしか自分の視点となり、 映画を見ている行為は、大切な文化の姿を追求する旅の一員になっていることに気づく。
消え行く文化があることはとても悲しいことだけれど、それを何年にも渡り追ったこのロードムービーはいつまでも残る。この尊い映画はサマンの儀式に流れるさまざまなリズムと共にしっかりと観た人の心に残る。 丹念に紡ぐようなこの映画を作ったスタッフに拍手です。ぜひ多くの方に観ていただきたいです。
藤原良雄(藤原書店社主)
満洲語を語るサマンの最後のドキュメンタリー!
話題になった前作「ロスト マンチュリア サマン」に続く第2弾。前作から9年の間に、満洲語を語るサマンは、どんどん居なくなって、もうあとわずかになったらしい。
恐らくこれは、満洲語を語るサマン最後のドキュメンタリーといってもいいだろう。大清帝国を築いた、満洲民族の記念すべき作品を遺した金大偉監督に敬意を表したい。
赤坂真理(作家)
ある文化や言語が滅びゆくとは?
かつて日本が深く関係した文化や言語が消えようとしている。
満洲族と、日本。両方にルーツを持つアーティスト金大偉が、もう一度それを繋ぐ。
龍の如く。
シャーマンとは、越境者であり媒介者。天であり地。男であり女。
佐々木 愛(俳優、劇団文化座代表)
金大偉氏の作品を見ると、自分が宇宙の長い時空の中で、ほんの一瞬の生命を頂いて生きていることを、改めて知らされる。
そして森羅万象を身をもって語り継ぐ、サマン達の弟子たれと、静かに諭されているような気持ちになるのです。
黒川五郎(哲学者・茶道家)
満洲サマンへのサウダージ(郷愁)によって導かれる、民族としての自己創造の系譜を指し示す地図として、 この作品が今世紀に持つ意味は極めて重大であるといえよう。
切通理作(批評家)
時代が変わっても、自然を神とし、内なる光として実感することで人と神がリンクし、つながった存在であると自覚し、表現者たらんとすることは「アート」であり、それはあらゆる人間に開かれた役割で、人類全体にとっても失われてはいけない。この映画で説かれるそうした価値観は、取材を通して得たものもベースにしたであろう金監督自身の意志としても表明されている。
愛新覚羅ゆうはん(作家、風水師)
先祖のシャーマニズムは私の血であり、肉であり、魂だ。 天地人を統べる満洲族の精神を末裔たちが引き継ぐことが最もな先祖供養である。
金大偉監督に感謝を込めて。
荻原眞子(民族学研究家)
満洲族の人々が、「サマン」と「サマン文化」を通じて、自然界、天界にエーテルを感得するのは、中国社会での歴史的な経験を突きぬけた先に見出した宇宙との接点なのであろう。
サマン文化が現代社会、世界にもつ意義はそこにあるのだと、「天空のサマン」は訴えているのである。
大野公士(彫刻家)
失われゆく満洲族伝統の儀式が鮮やかな映像美で展開する名作。
世界で金大偉のみが撮影することができた貴重な民俗学の資料。
必見です。
簡 憲幸(プロデューサー)
金大偉氏の鋭敏な映像を映画監督という一面から見ては本質を見誤る。では彼の映像芸術の本質は何であろうか?それは感性といった陳腐な表現を超越した世界、つまり「霊的なシャーマニズムの世界観の芸術」である。
久米マリリン(筆跡診断士)
前作「ロスト マンチュリア サマン」よりずっと待っていました。 日本の情況とも重なる映画です。 大きな何かに吸収され、失われつつある文化。伝承は記憶であり歴史だとの古老の言葉が心に残ります。 本題の映像の他、巧みに挿入される自然風景と音楽が金大偉監督の芸術性の高さを感じさせます。今年観るべき映画の筆頭です。
泉 邦昭 (映像作家)
この映画は、過去に清朝という大帝国を築いた満洲族の凝縮した歴史を体感する旅であり、サマン(シャーマン)たちの生の声を聞き、祭事に参加することで、力の論理で翻弄されてきた民族の傷ついた父性を体感させてくれる作品である。 苦しみや悲しみから家族や親族を守ろうとする満洲族の父系制の原点の姿がそこにあった。力によって支配された悲哀を体験した民族だけが持ち得る忍耐と寛容は、時空を超えた神という概念によってしか存在し得ないのだろうか。
統合芸術を追い続ける金大偉氏の渾身の力作。 時間と空間を拘束される映画館で体感すべき作品である。 二度と撮ることができない貴重な歴史的遺産であり、文化人類学的及び社会学的資料であり、知的エンターテイメントである。 多民族国家中国の中の満洲族の変容する姿は分断しつつある現代社会を平和に導く知恵なのかもしれない。
杉浦 美代子(画家)
自然界の光・音・色。
全てにつながるシャーマニズムの魂は私の心に、しっかり響きました。
黒澤淳一(株式会社東京えんむすびカンパニー)
「天空のサマン」は力作です。
今撮っておかないと消えてしまう基層文化のドキュメンタリー映画です。
長谷川弓子(作詞・作曲家)
天空のサマン、貴重な映画をありがとうございました。後世に残し伝えるべき貴重なドキュメンタリーです。この地球上の財産として広く公開され、多くの方に観ていただきたい映画です。
岩崎裕和(音楽家)
失われゆく満洲族の伝統文化から大きな分岐点にさしかかった人類の現実を痛烈に伝える映画。
再度我々の自然観、霊性、宗教、文化、営みにおける意識を問い直す問題作。
原郷界山(尺八演奏家)
伝承とは'命'のリレー、‘魂’のリレーであること。この映画はそれを教えてくれる。 ひとつの民族の言語や信仰が途絶えつつある。映画の中に響く'腰鈴'の華やかな音色が悲しい。
サランゴワ(文化人類学者)
今を生きる満洲族のシャーマニズムをありのままに記録するため、ご苦労を惜しまれなかった監督の金大偉氏と撮影の山本桃子氏に深い敬意をお示ししたいです。記録によって、人類の文化の多様性と地域の特性を知るきっかけになっただけでなく、民族のものは世界のもので、世界のものものが人類のものであることを実感させていただきました。
松井不二夫(神秘主義批評家)
魂の技術は失われつつあるという憂いがある。それでもなお儀礼表現を通じてよみがえるだろう。金監督の旅は故地への巡礼から天空への道を辿る。大陸に風が鳴り雲がたなびく中、伝承者たちはみずからの役割を誇り高く語り、また歌う。太鼓と腰鈴が鳴り響き、天空を指す竿が立てば、祖霊も一族も民族もそして世界もが予感されるのだ。貴重な映像記録の作品だが、詩的なショットもまた心をさわがせる。